ゲームオフ界隈と当事者界隈は明らかに雰囲気が違っていた。
残虐な事件が起きるたびに、容疑者とアニメ、ゲーム等のサブカルチャー、精神疾患との関連性が煽り立てられる。
ただ、ほとんどのゲーマー、アニメファンは精神疾患や家族とのしがらみとは無縁の社会適合者なのだ。
新卒のカードを放棄し、「人生詰みゲー」と嘆いていたゲーム仲間は、現在、希望通りとはいかなかったものの、
それなりの職業に就いて、まっとうな社会生活を営みつつ、ゲームやアニメに明け暮れている。
彼はサブカルチャーに趣向があるのを除けば、標準的な社会人であり、現実保守層である。
一方、発達障害の当事者界隈はそうはいかない。
社会生活に生き辛さを抱え、家族とも上手く行かず、苦悩の日々を送っている。
絵に描いたような“ヲタク”は案外少なかった。
そんな状況であるからこそ、目の前にある社会資源をフル活用している者もいる。
障害福祉という“母”と二人三脚で何とか生き延びようと試みる。
ところで、リバ邸の住民やその関係者はどちらにも属さない。
多少の不安定さを抱きながらも、前向きに考えている人が多い印象を受けた。
ゲームオフ界隈は退屈な日常を自虐的に笑い、
当事者界隈は不安的な身上や社会情勢を憂う。
一方で、シェアハウス界隈は前へ進もうとする原動力を感じ取れる。
世界が変わるかもしれない。
所謂社畜として働き詰め、職場以外の人間関係と疎遠だった頃、
自らを“組織人”として卑下し、“自由人”でありたいと願った。
丁度、坂口恭平に傾倒し始め、彼を自由人の究極形態として結論付けた。
彼と似たような考えを持つ人々が身近にいるのである。
第三勢力、シェアハウス界隈、僕は彼らを“新自由人”を呼ぶことにした。